柳生新陰流   兵法家伝書

柳生但馬守宗矩の生い立ち

柳生但馬守宗矩は元亀二年(1571)、石舟斉宗厳の五男として生まれた。最初の

名が新左エ門、のち又右衛門を名のる。十五歳の折には、柳生家がその領地を豊

臣家から没収されるなど、その青春時代にはずいぶんと苦労が多かったらしい。

二十四歳のとき、父宗厳とともに家康に目通りし、そのまま家康のもとに留めら

れたのが運のひらけはじめであった。関が原の役に際しては家康の親書を携えて

柳生に飛び、父宗厳とともに西軍の後方牽制にあたる。その功績によって柳生の

旧領を賜り,やがて,二代将軍秀忠の師範となった。寛永九年(1632)三月、宗矩

は三千石の加増を得て六千石となり、同年九月には惣目付(後の大目付)に任じ

られて幕閣の中枢にはいった。その行政手腕や人格がいかに高く評価されていた

かを物語るものであろう。後には加増を重ねて一万二千五百石にまでのぼった。

「猷廟(家康公)にも、天下の務、宗矩に学びてこそ大体は得つれことごとに仰

せられし由、この一事にてもその器量おしはかるべし」(撃剣叢談)などと言われている。

新陰流哲学の大成

宗矩は上泉秀綱、父宗厳から伝えられた柳生新陰流を、心技の両面にわたってさ

らに深め、体系化した。とくにかれが傾倒した沢庵禅師の教えによって禅の哲学

を武芸に導入し、いわゆる剣禅一致の境地を切り開いたことは特筆に価する。

「兵法家伝書」を中心とする宗矩の兵法論には、沢庵の影響がすこぶる濃厚に見

られるが、それが理屈倒れの生悟りに堕していないのは、宗矩が秀綱、宗厳から

伝えられた新陰流の実技を徹底して追及し、その真髄を極めていたからにほかな

らない。いやしくも将軍家の師範役とあれば、まずその剣技において不出世の名

人であることが要求される。このことを抜きにして、いかに政治手腕に優れてい

ようとも、たかだか大和の山村の土豪の出に過ぎぬ宗矩が、大名の列に加わるこ

となどなかったであろう。宗矩の兵法論が、理論的には多少の粗雑さを含みなが

らも、力強い説得力をそなえているのは、この確固たる実技の裏づけがあるため

と思われる。ここに紹介する「兵法家伝書」は、宗矩が備前小城藩主、鍋島紀伊

守元茂に与えた柳生新陰流の秘伝書である。江戸柳生家と呼ばれる宗矩の家計

は、長男の十兵衛三厳、その早世後は弟の宗冬が相続したが、三厳は二十一歳の

 

寛永三年以降、行状不良に名目により十二年間にわたって出仕を止められ、勘当

同様の身であった。このため宗矩は、三厳を流派の正式の継承者とはせず、親交

のあった鍋島元茂に新陰流の兵法目録である「新陰流兵法之書(一名・進履橋)

と、この「兵法家伝書」を与えたのである。ときに生保三年(1646)三月、宗矩

はこの伝書を元茂に与えて間もない同月二十六日、江戸麻布の下屋敷で七十六歳

の生涯を閉じている。

 

 兵法家伝書の思想

「兵法家伝書」は前述の「新陰流兵法目録」のような実技の解説書ではなく、勝

負の場における精神のコントロールに関する議論がその中心をなしている。そこ

には、たとえば次のような重要な指摘がある。

━稽古の究極の目的は、それを完全に身につけることによって無意識のうちに正

  しい動作ができるようになることである。

━敵を一太刀うっても、そこに心が留まるならば、たちまち打ち返されて負かさ

  れる。一太刀うったら、それが切れようと切れまいと心にかけず、顔もあげさ

  せぬほど打ちに打て。

━病気(偏向)を去ろうと思いつめるのも病気だ。病気にまかせ、病気と交わる

  ことによって病気を去ることができるのだ。

━外面が動のときは内面は静、外面が懸(攻勢)のときは内面は待(守勢)、内

  外をたがいちがいとせよ。この修行積むことによって内外は一つに統一される。

━どのような秘伝の技を使っても、その技に心が留まるならば勝利は得られな 

  い。敵の働きにも、わが技にも、切ろうと、突こうと、そこに心を留めぬ修行

  こそ大切である。

一言にしていえば、ありとあらゆる状況の変化に対応して,最適の技を,反射的に,

   無意識のうちに使えるような境地こそ,柳生新陰流の極意ということになる。

  「兵法家伝書」にはそこに至るまでの修行の心得、心の持ち方が懇切に説かれ

  ており、宗矩がその結びの言葉で「一心、多事に渉り、多事、一心に収まる」

  と述べているとおり、諸道に通じる教訓にあふれている。

 

門は家に至るしるべなり

1.大学は初学の門な也。と云事、凡家に至るには、まづ門より入者也。然れば、

門は家に至るしるべ也。

1.此門をとおりて家に入り、主人にあふ也。学は道に至る門也。しかれば、学は

  門也。家にあらず門を見て、家也とおもふ事なかれ。家は門をとおり過ぎてお

  くにある物也。

 

「訳」

大学(儒教の聖典。四書の一つ)は学問に志す者の 「門」にあたるとされている。

この「門」ということについて説こう。そもそも人の家に行きつくには、まず門

からはいっていくものだ。ということは門は家に行き付くための目印である。こ

の門を通ることによって真理を体得するのである。それだから学問は「門」だと

いうのである。家ではなく門を見て、それが家だと思ってはならない。家とは、

門を通り過ぎてその奥にあるものなのである。

 

「解説」

いずれの道においても、まず基礎的な知識を学び、技術を身につけることが出発

点となる。しかし、それはあくまで道の深奥をきわめ、真理に到達するための道

程に過ぎない。「○○のすべて」だの「○○に強くなる法」といった出来合いの

知識の切り売りで満足しているならば、新しい発見や創造は永久に不可能であろ

う。入門は文字通り入門であって、主人(真理)に会うこととは別なのだから。

 

習いをはなれて習いにたがわず

様々の習いをつくして、習、稽古の修行功つもりぬれば、手足身に所作はあり

て、心になくなり、習いをはなれて習いにたがわず、何事も、するわざ自由也。

此時は、わが心にいづくにありともしれず、天魔外道もわが心をうかがひ得ざる

也。此位にいたらん為の習也。ならひ得たれば、又習はなく成也。是が諸道の極

意向上也。ならひをわすれ、心をすてきつて一向に我もしらずして、かなふ所が

道の至極也。此一段者習より入て、ならひなきにいたる者也。

 

「訳」

さまざまの訓練をしつくして、訓練、稽古の修行を十二分に積むことができれ

ば、手足や体を動かしても、それによって心が動かされることはなくなり、訓練

のことは念頭になくなって、しかも訓練の成果を生かし、すべての動きが自由と

なる。このようになれば、自分の心がどこにあるのかもわからなくなり、たとえ

魔人や悪魔といえども、わが心を察知することはできなくなるのである。すべて

訓練はこの段階に達するためのものである。訓練をしつくすことによって、また

訓練を忘れ去るもの、これこそがすべての道に通じる極意である。訓練を忘れ、

心を捨て去り、自分の意思ではなく、しかも道にかなうというところが道の極致

なのである。この項では、訓練に始まって訓練を忘れ去るということを説いた。

 

「解説」

何の道であれ、意識して技をふるう間はまだ本物とはいえまい。無念無想のうち

に瞬時に的確な判断をくだし、反射的に恐るべき技をふるうのが名人の境地であ

ろう。こうなれば心中に迷いやためらいが起こることがないから、敵のつけいる

隙もない。「天魔外道」も手も足も出せないのである。

 

偽り、みな真実となる

表裏は兵法の根本也。表裏とは、おもひながらも、しかくれば、のらずしてかな

はぬ者也。わが表裏をしかくれば、敵はのる也。のる者をばのらせて勝つべし。

のらぬ者をば、のらぬよと見付る時は、又こちらからしかけあり。然ば、敵のの

らぬも、のつたに成なり。仏法にては、方便と云う也。真実を内にかくして、外

にはかりごとをなすも、終に真実の道に引き入る時は、偽皆真実に成る也。神祇

には、神秘と云、秘して以て人の信仰をおこす也。信ずる時は、利生あり。武家

には、武略と云。略は偽なれば、偽をもって人をやぶらずして、勝時は、偽終に

真と為也。逆に取て順に治と云是也。

 

「訳」

表裏(計略)は兵法の根本である。ほんとうの計略とは、これは計略と思いながら

も、しかけられるとそれに乗らずにはいられないものである。こちらから計略を

しかければ敵が乗ってくるから、乗せておいて勝つがよい。相手が乗ってこない

ときにも、乗ってこないと判断がつけば、また、こちらから次の計略をしかける

ことができる。これができれば計略に乗らぬ敵をも、乗せたことになる。これと

同様のことを仏教では方便という。真実を内にかくし、外面では偽りを出す場合

があるが、これも最後には真実の道に引き入れるのであるから、偽りもすべて真

実となるのである。これを神道のほうでは神秘と呼んでいる。秘密にすることに

よって人々に信仰を起こさせるのだ。信仰をすれば、それによって利益があるの

である。武家においては武略という。略とは偽りのことであるが、偽りによって

味方の兵員を損なうことなく勝利を得ることができるならば、偽りも結局は真実

となるのだ。逆の道を行って正しい道に治まるというのはこのことである。

 

懸、待の心持ち

懸とは立あふやいなや、一念にかけて、きびしく切てかかり、先の太刀をいれん

とかかるを懸と云也。敵の心にありても、我心にても、懸の心持は同事也。待と

は、卒爾にきつてかからずして、敵のしかくる先を待を云う也。きびしく用心し

て居るを待と心得べし。懸待は、かかると、待との二也。

 

「訳」

「懸」とは、立合うやいなや、一心をこめて、きびしく切りかけ、先手の太刀をと

ろうとかかるのを懸というのである。敵の心においても、自分の心においても、

懸の心持は同じことである。「待」とは、いきなり切ってかかるのではなく、敵

が先手をとろうとしかけてくるのを待つのをいうのである。きびしく用心してい

るのを待と心得よ。「懸」「待」とは、かかると、待つとの二つである。

 

「解説」

懸待とは、いわば攻勢と守勢を意味する。しかしこの場合、守勢といっても単に

守ることのみに主眼があるのではなく、敵がかかってくるのを待ち受けて逆に攻

勢に出ていくという含みがある。

 

敵をおびき出す術

身太刀とに、懸待の道理ある事。身をば敵にちかくふりかけて懸になし、太刀は

待になして、身足手にて敵の先をおびき出して、敵に先をさせて勝也。ここを以

て、身足は懸に、太刀は待也。身足を懸にするは、敵に先をさせむ為也。

 

「訳」

体と太刀との関係において、「懸」と「待」の道理がある。体は敵に間近にくっつけ

て「懸」の態勢をとり、太刀は油断なくかまえる「待」の態勢にしておくことによ

り、体、足、手の態勢によって敵によって誘いをかけ、先手をとろうとさせてお

いて勝ちを占めるのである。したがって、体、足は懸に、太刀は待にというので

あり、体、足を懸にするのは、敵に先手をとろうとさせるためである。

 

 心と体の関係をコントロールせよ

心と身とに懸待ある事。心をば待に、身をば懸にすべし。なぜなれば、心が懸な

れば、はしり過て悪程に、心をばひかえて、待に持て、身を懸にして、敵に先を

させて勝べき也。心が懸なれば、人をまづきらんとして負けをとる也。又の儀に

は、心を懸に、身を待にとも心得る也。なぜになれば、心は油断無くはたらかし

て、心を懸にして太刀をば待にして、人に先をさするの心也。身と云い、即太刀

を持手と心得ればすむ也。然らば心は懸に身は待と云也。両意なれども極る所は

同心也。とかく敵に先をさせて勝也。

 

「訳」

心と体の関係においても、「懸」と「待」ということがある。これについては、心は

「待」に、体は「懸」にするのだ。なぜならば、心が「懸」であると、とかく暴走をし

がちでよろしくないから、心はひかえ目の「待」の状態にしておき、体のほうは積

極的な「懸」の態勢にしておくことにより、敵に先手をとらせようとさせて勝つこ

とができるのである。もし心が「懸」の状態であると、まず人を切ろうとして、か

えって負けてしまうものである。また一方では、心を「懸」の状態に、体を「待」の

態勢にせよともいわれている。これは、心を油断なく働かせておき、太刀は待ち

かまえる態勢にしておくことにより、敵に先手をとろうとさせるとの意味であ

る。この場合、体というのは太刀を持っている手のことだと理解しておけばよ

い。そうすれば心を「懸」、体を「待つ」といってもよいわけである。表現は違って

いるが、結局は同じ意味であり、いずれにせよ敵の先手をおびき出して勝とうと

いうものである。

 

「解説」

最後の「とかく敵に先をさせて勝也」の一語に、柳生新陰流の一つの核心がうかが

われる。宮本武蔵はその「五輪書」において「いつにても我方よりかかる事にはあ

らざるものなれども、同じくは我方よりかかりて敵をまはし度事也」といい、ま

た示現流流祖の東郷重位は「そもそも意地と打とは、斯道の精神にして、防守を

避け、攻略を主とし、煩瑣譎巧をしりぞけ、神速果断を尚ぶ」(野太刀示現流教

)と述べている。こうした「攻撃こそ最良の防禦」という考え方のほうが、闘争の

哲学としては一般的なものであった。これらのなかにあって、柳生新陰流のみが

「受けて立つ」横綱相撲のような姿勢を堅持しているのである。宗矩の筆になる別

の伝書「玉成集」には、

「兵法の習、色々ありといえども別にもちいず。

一、出す所を勝つか

一、打出さぬ者には仕かけて打つ所を勝つか

一、それを知る者には、わがうちを見せて、それを打つ所を勝つか

これ三つより外はこれ無く候」

と断言している。そして「わが心ばかりにて打つことを当流にはひが事と相きわ

め候事」と言っているところから見て、その態度はすこぶる徹底したものがあ

る。動こうとしない相手に対しては挑発をかけ、あるいは誘いの隙を見せ、それ

に乗った敵の崩れをつくという、味方によっては老獪な姿勢は、かれを厚く信任

した家康に共通するものを感じさせるではないか。

 

トンボのような目づかいで

待なる敵に、様々表裏をしかけて、敵のはたらきを見るに、みる様にして見ず、

見ぬようにして見て、間々に油断なく、一所に目ををかず、目をうつして、ちや

くちやくと見る也。或詩にいはく、偸眼にして蜻蜓伯労を避くと云句あり。偸眼

とは、ぬすみ見る事也。敵のはたらきを、ちやくちやくとぬすみ見に見て、油断

無くはたらくべき也。猿楽の能に、二目つかひと云事あり、見てやがて目をわき

へうつす也。見とめぬ也。

 

「訳」

待ちかまえる態勢にある敵に対し,いろいろと計略をしかけて,その反応を判断する

ときには,見るようにして見ず,見ぬようにして見るというように,その合間合間に

油断なく、一ヶ所に目をやらずに、うつしながら、ちょいちょいと見るのであ

る。ある詩に「ぬすみ見をしながらトンボはモズを避ける」という句がある。この

ように敵の動作をちょいちょいとぬすみ見に見ながら、油断なく動くのである。

猿楽の能においても、二目つかいといって、一方を見ながら、他方へ目をうつし

てゆく目づかいがある。このように一ヶ所に目を留めないことが大切である。

 

「解説」

「見ぬようにして見る」ことの効用は、第一にこちらの心の動きを敵に覚らせぬこ

とであり、第二に部分の現象に目を奪われず、流動する状況を全体としてとらえ

ることにある。沢庵禅師の「不動智神妙録」にも「一枚の赤い葉に心をとめれば,

の姿全体は見えなくなる」という教えがある。

 

顔もあげさせず打ちに打て

人を一刀きる事はやすし。人にきられぬ事は成りがたき者也。人はきるとおもふ

て、うちつけうとも、ままよ、身にあたらぬつもりを、とくと合点して、おどろ

かず、敵にうたるる也。敵はあたるとおもふてうてども、つもりあれば、あたら

ぬ也。あたらぬ太刀は死太刀也。そこをこちらから越てうつて勝也。敵のする先

は、はづれて、われ返而先の太刀を敵へ入也。一太刀打てからは、はや手はあげ

させぬ也。打てより、まうかうよとおもふたるは、二の太刀は、又敵に必うたる

べし。爰にて油断して負也。うつた所に心がとまる故、敵にうたれ、先の太刀を

無にする也。うつたる所は、きれうときれまひとまま、心をとどむるな。二重三

重、猶四重五重も打べき也。敵にかほをもあげさせぬ也。勝事は一太刀にて完る也。

 

「訳」

人に一太刀あびせることはたやすい。しかし、人に切られないようになるのは容

易なことではない。相手が切ろうとして、打ちかかってこようとも、こちらは体

に当たらぬ間合いをよく判断しておいて、驚くことなく敵にうたせるのである。

敵はあたるものと思ってうちかかってくるが、間合いがあるのであたらない。あ

たらぬ太刀は死太刀となってしまう。そこを、こちらから踏みこんで打ち、勝を

占めるのである。敵がしかけてきた先手ははずれ、こちらからは逆に敵に先手の

太刀を入れてしまうのだ。一太刀打った後は、もはや敵の自由にはさせない。打

っておいて、もうこれで大丈夫と思っていては、次にまた必ず敵にうたれてしま

い、油断のために負けてしまうだろう。これは打ったということに心を留めるた

め、敵から打ち返され、はじめの先手の太刀が無となってしまうのである。一太

刀打ったならば、それで敵を切ることができようとできまいとかまわず、二度三

度、さらに四度、五度も繰り返して打ち込み、敵には顔もあげさせぬことだ。こ

うすれば最初の一太刀によって勝利はきまってしまう。

 

「解説」

一旦つかんだ勝機はあくまで離さず、確実に勝ちを占めるためには、敵の崩れに

つけこんで打ちに打つよりほかはない。魯迅の「溺れる犬は打て」を連想させ

る。むやみと刀を抜くことはないが、いざとなれば徹底して戦いぬく新陰流の一

面がうかがわれる。

 

拍子を狂わせて勝つ

敵が大拍子にかまへて、太刀をつかはば、我は小拍子につかふべし。敵小拍子な

らば、我は大拍子につかふべし。是も敵と拍子をあはせぬ様につかふ心持也。拍

子がのれば、敵の太刀がつかひよく成也。たとへば、上手のうたひは、のらずし

て、あひをゆく程に、下手鼓は、うちかぬる也。上手のうたひに、下手鼓、上手

の鼓にへたのうたひの様にうたひにくく、打ちにくき様に敵へしかくるを、大拍

子子拍子、子拍子大拍子と云也。上手の鳥さしはさほを鳥に見せて、むかうこら

竿をぶらぶらとゆぶりもつて、つるつるとよつてさす也。鳥が竿のぶらぶらする

拍子にとられて、羽をふるひ、たたん、たたんとして、得たたずして、ささるる

なり。敵と拍子ちがふ様にすべき也。拍子がちがへば、みぞもとばれずしてふみ

こむ者也。か様の心持まで吟味すべき也。

 

「訳」

敵が大きい拍子に太刀をつかうならば、こちらは小さい拍子でつかう。敵が小さ

い拍子ならば、こちらは大きい拍子でつかうのである。これは敵と拍子があわぬ

ようにして太刀をつかうためである。もし拍子が合うと敵は太刀がつかいよくな

るものだ。たとえば上手な人の謡は、固定した拍子にのらず、その中間をとるか

ら、下手なものが鼓をうとうとしても、うつことができない。上手の謡に下手の

鼓、上手の鼓に下手の謡というように、謡いにくく、うちにくいよう、敵にしか

けてゆく心持を、大拍子子拍子、子拍子大拍子というのである。上手な鳥さし

は、竿を鳥に見えるように持ち、向こうから竿をぶらぶらとゆすぶりながら持っ

てきて、するすると近寄っては鳥をさしてしまう。鳥は竿がぶらぶらとする拍子

に心を奪われて、羽ばたきをして飛び立とう、立とうとしながら、飛び立つこと

ができずに、さされてしまうのである。このように敵と拍子があわぬようにする

のである。拍子が合わず狂ってしまうと、溝をとびこえることもできず、踏みこ

んでしまうものだ。このような心持までも、よく研究しておくことである。

「解説」

敵のリズムやテンポを故意に狂わせて勝機をつかむことは、あらゆる闘争の要諦

である。自分が予想もしなかったリズム、テンポで臨んでこられれば、誰しも一

瞬の動揺は免れない。その崩れを衝くところが勝利への転機となるのである。

 

敵の動きの全体をつかめ

まひもうたひも、しやうがしらずして、はやされまひ事也。兵法にも章哥の心も

ちあるべき事也。敵の太刀のはたらき如何様にあるぞ、何としたるさばきぞと、

とくと見すへて、そこをしるが、舞うたひの章哥よく覚えたる心なるべし。敵の

はたらき振舞よくしりたらば、こちのしかけ自由なるべし。

 

「訳」

舞いも謡も、その曲の全体を知ることなしには、これを演ずることはできない。

武芸の道にもこれと同様の心がまえが必要である。敵の太刀の働きがどのような

ものか、どういう種類の動作かということを十分に見きわめて、判断すること

が、舞や謡においての曲の全体をよく覚えるのと共通する心がまえである。敵の

動作の流れをよく心得てしまえば、あとは自由に料理することができよう。

 

「解説」

宗矩の能楽好きは有名で、凝りすぎて沢庵に叱られたことがあるほどである。だ

が、さすが名人だけあって、ここからも剣の道の教訓を引き出している。部分の

動き、一時の現象に対処するだけでなく、全体の流れを見とおすことが戦いの主

導権を握る道だというのである。だが、前もって筋書きがきまっているわけでは

ない。人間対人間の勝負において、これは至難のわざである。段違いの実力と経

験によって、戦わずして敵を呑む者だけが達しうる境地であろう。

 

敵は攻勢・・・と覚悟せよ

とにも角にも、此道は、表裏を本として、様々に序を切かけ、色をしかけて、敵

に先手をさせて勝つ分別ばかり也。立あはぬさきは、敵は懸也と覚悟して、油断

すべからず。下作専要也。敵懸也ともおもはずして、立相といなや、ほかと急々

に、きびしく仕かけられてからは、わが平生の習も何の手も出ざる者也。

 

「訳」

なんとしてもこの道は、計略を根本とする。相手に対してさまざまな誘いをか

け、おびきよせて、敵が先手をとろうとするところをつけこんで勝利を得る。そ

のくふうが第一なのである。試合となるまでは敵は攻勢に出てくるものと覚悟

し、油断しないことだ。内心の備えを固めることが先決である。もし、敵が攻勢

に出ると思わずにいて、立ち会ったとたんに、いきなり激しく打ちこまれてしま

っては、こちらのふだんの鍛錬も役に立たず、手も足も出なくされてしまうもの

である。

「解説」

予想しうる最悪の事態をつねに想定し、しかもこれを勝利への転機に逆用するの

が新陰流の精神である。

 

外は静かに、内はきびしく

風水の音をきくと云事、上は静かに、下は気懸に持也。風にこゑはなき物也。物

にあたりてこゑを出す也。されば上を吹はしづか也。下にて木竹よろづの物にさ

はりて、その声さはがしく、いそがはしき也。水も上より落るには、声なし。物

にさはり、下へおちつきて、下にていそがはしく声がする也。是をたとへに引

て、上は静に、下は気懸に持と云也。うわつらには、如何にもしとりて、ふため

かずして静に、内には気を懸に、油断無くもつたとへ也。身、手、足いそがはし

きはあし。懸持を内外にかけてすつべし。一方にかたまりたるはあし。陰陽たが

ひにかはる心持を思惟すべし。動くは陽也。静なるは陰也。陰と陽とは内外にか

はりて、内に陽うごけば、外は陰で静也。内陰なれば、うごひて外にあらはる。

此の如く兵法にも、内心に気をはたらかし、うごかし、油断なくして、外はまた

ふためかず、静にする。是内にうごき、陰外に静なる天理にかなふ也。又外きび

しく懸なれば、内心を外にとられぬやうに内を静にして、外懸なれば、外みだれ

ざる也。内外ともにうごけば、みだるる也。懸待、動静、内外をたがひにすべ

し。水鳥の水にうかびて、上はしづかなれども、そこには、水かきをつかふごと

くに、内心に油断なくして、此けいこつもりぬれば、内心外()ともにうちとけ

て、内外一つに成て、少しもさはりなし。此位に至る、是至々極々也。

 

「訳」

風や水の音を聴くということは、表面は静かに、内心は積極的にもつことを風水

の音を聴くというのである。表面はいかにも落ちついていて、あわてず、静かに

しながら、内心は積極的に気を働かせ、油断なく保つことをたとえたものであ

る。体、手、足がせわしそうなのはよろしくない。「懸」と「待」とは表面、内心と

もに、どちらかに片寄ってしまってはならない。陰陽が互いに入れかわる心持を

研究せよ。動くのは陽、静かなのは陰。陰と陽とは表面と内心とで入れかわりと

なり、内心に陽が動くときは表面は陰で静かとなる。内心が陰で静かなときは表

面は積極的に動いて陽となる。兵法においてもこのように、内心には気を働か

し、動かし、油断なく保っておきながら、表面は騒がず、静かにするのが、内面

は積極的に、表面は静かにするという天然の道理と一致するのである。一方、表

面において激しく攻勢に出るときには、内心をその動きにひきこまれぬよう静か

に保つことによって、表面の動きが乱れぬようにできる。もし表面、内心ともに

激動すれば、乱れてしまうものだ。このように「懸」と「待」、「動」と「静」は、内心

と外面において互い違いとすべきものである。水鳥が水に浮かんで、うわべは静

かにみえても、水中では水かきをつかっているように、内心は油断なく保つので

ある。この修行をつむならば、内心と外面の働きが一つに統一され、その働きは

完全に自由自在となる。この境地に達することこそが兵法最高の修行なのである。

 

「解説」

「風水の音をきく」という秘伝は、柳生新陰流の大事とされているが、その解釈に

は諸説がある。十兵衛三厳は、その著書「月の抄」のなかで、ここに揚げた宗矩

の説とならべて、「勝負の最中にあっても、風水の音が耳に入るほどの心のゆと

りを持て」という解釈を施している。「風水の音」の解釈としては、たしかにこの

ほうが無理がない。しかし、この項の後半にある表面と内面の使い分け、および

その統一についての議論は、簡にして核心をついたみごとなものである。

 

固定した心は病気である

かたんと一筋におもふも病也。兵法つかはむと一筋におもふも病也。習のたけを

出さんと一筋におもふも病、かからんと一筋におもふも病也。またんとばかりお

もふも病也。病をさらんと一筋に、おもひかたまりたるも病也。何事も心の一す

じに、とどまりたるを病とする也。此様々の病、皆心にあるなれば、此等の病を

さつて心を調る事也。

 

「訳」

勝とう、勝とうと一途に思うのは病気である。技を使おうと一途に思うのも病

気、鍛錬の成果をあらわそうと一途に思うのも病気である。積極的にかかってい

こうとばかり思うのも病気、待ちかまえていようとばかり思うのも病気である。

こうした病気をなくそうと一途に思いつめるのもまた病気である。いずれにせ

よ、心が一途に固定してしまった状態を病気というのである。このような、さま

ざまの病気は、すべて心のうちにあるものなのだから、これらの病気をなくすた

めには心のコントロールが必要となってくるのだ。

 

「解説」

あらゆる偏向の根源は執着にあるという見方には、禅の強い影響が感じられる

が、次の項ではそれがさらに明瞭に見られる。

 

思いによって思いを去る

念に渉て無念、着に渉て無着(しようねん・むねん・しようちやく・むちやく)

此心は、病をさらんとおもふは念也。心にある病をさらんとおもふは念に渉る

也。又病と云も一筋におもひつめたる念也。病をさらんとおもふも念也。しかれ

ば念を以て念をさる也。念をされば無念也。これを以て渉念無念と云也。念に残

りたる病を念を以てされば、後はさる念も、さらるる念も共になくなる也。楔を

以て楔を抜くと云は此事也。ぬけぬ楔を又同楔を打こめば、くつろぎて楔がぬく

る也。ぬけぬ楔がぬくれば、後に打こみたる楔もあとには残らざる也。病気が去

れば、病気をさる念もあとには残らぬ程に、渉念無念と云也。

「訳」

「思いありて思いなし。心をつけて心をつけず」ということがある。この意味はど

のようなことか、心の病気をなくそうとするのは、ひとつの「思い」である。一

方、病気というのもまた、一途に思いつめた「思い」である。そうであるならば、

ひとつの「思い」によって、もうひとつの「思い」をなくすことができよう。「思い」

がなくなれば「無念」となる。これを「思いをもって思いを去る」というのである。

心の病気が「思い」によって消えるならば、あとは消える思いも、消す思いも、と

もになくなってしまうのだ。ちょうど、クサビによってクサビを抜くというよう

なもので、抜けなくなったクサビのところに、もうひとつ同じクサビをうちこむ

と、はじめのクサビはゆるんで抜ける。そうなれば、あとからうちこんだクサビ

も抜けて、あとには残らぬ道理だ。このように、病気が消えれば、病気を消そう

とする思いもともに消えて残らぬようになるから、「思いありて思いなし」という

のである。

 

「病気」を気にせぬ心の修行

後重には、一向に病をさらんとおもふ心のなきが、病をさる也。さらんとおもふ

が病気也。病気にまかせて、病気のうちに交て居が病気をさつたる也。病気をさ

らんとおもふは、病のさらずして心にある故なり。しからば、一円病気がさらず

してする程の事、おもふ程の事が着して、する事に勝利あるべからず。いかんか

心得可きぞや。こたへて云。初重後重と二たてたるは此用也。初重の心持を修行

して、修行積ぬれば、着をさらんとおもはずして、ひとり着がはなるる也。病気

と云は着也。仏法にふかく着をきらふ也。着をはなれたる僧は、俗塵にまじりて

も染まず、何事をなすとも自由にして、とどまる所がなひ者也。諸道の達者、其

わざわざの上に付て着がはなれずば、名人とはいはるまじき也。みがかざる玖は

塵ほこりがつく也。みがきぬきたる玉は、泥中に入てもけがれぬ也。修行をもつ

て心の玉をみがきて、けがれにそまぬやうにして、病にまかせて、心をすてきっ

て行度様にやるべき也。

 

「訳」

さらに程度の高い修行としては、病気を去ろうとする心を少しも持たぬことが、

すなわち病気を去ることになるという境地がある。病気をなくそうと思うこと

が、また一つの病気なのであるから、そういうことは考えず、病気の状態をその

ままにして、そのなかに身を置くことが、つまりは病気をなくすことなのであ

る。病気を去ろうと思うことは、病気が心のうちにあるためである。それならば

病気が心のうちにあるままの状態では、その思いが心に固定して、何をしても勝

利できないのではないかと思われる。これについてどう考えるべきだろうか。そ

の回答はこうだ。最初の段階の修行と、さらに高い段階での修行と、二つに分け

たのはこのためである。まず最初の心持をよく修行して、その境地に達すれば、

心を固定させまいと思わなくとも自然と固定した思いがなくなってくる。病気と

は固定した思いである。仏法においては、とりわけ固定した心を嫌う。心を固定

せぬ僧は、世間の塵のなかにあってもこれに汚されず、何事をしても自由で、心

をとらえられることがない。いずれの道をきわめた人においても、その技術から

固定したものがなくなるようでなければ、名人ということはできないものであ

る。磨いてない原石には塵やほこりがつくものだが、磨きぬいた玉は、たとえ泥

のなかにあっても汚れない。修行によって心の玉を磨きぬき、汚れに染まぬよう

にしたうえで、病気のことなど気にかけず、心を自由にとき放って、行きたいよ

うにすればよいのである。

 

「ふだんの心」で万事にあたれ

僧、古徳ニ問フ、如何カ是レ道ト、古徳答テ曰ク、平常心是レ道ト。

右話し、諸道に通じたる道理也。道とは何たる事を云ぞととへば、常の心を道と

云也。とこたへられたり。実に至極之事也。心の病皆さつて、常の心に成て、病

と交りて、病なき位也。世法の上に引合ていはば、弓射る時に、弓入るとおもふ

心あらば、弓前みだれて定まるべからず。太刀つかふ時、太刀つかふ心あらば、

太刀先定まるべからず。物を書時、物かく心あらば筆定まるべからす。琴を引と

も、琴をひく心あらば、曲乱べし、弓射る人は、弓射る心をわすれて、何事もせ

ざる時の、常の心にて弓を射ば、弓定まるべし。太刀つかふも馬にのるも、太刀

つかはず、馬のらず、物かかず、琴ひかず、一切やめて、何もなす事なき常の心

にて、よろずをする時、よろずの事難なくするするとゆく也。道とて、何しても

一筋是ぞとて胸にをかば、道にあらず。胸に何事もなき人が道者也。胸には何事

もなくして、又何事成共、なせばやすやすと成也。鏡の常にすんで、何のかたち

もなき故に、むかふ物のかたち何にても明なるがごとし。道者の胸のうちは、鏡

のごとくにして、何もなくして明なる故に、無心にして、一切の事一もかく事な

し、是只平常心也。此平常心をもつて一切の事をなす人、是を名人と云也。

 

「訳」

ある僧が高僧に問うた。「道とは何でありましょうか」高僧は答える。「ふだん

の心がそのままの道なのだ」と。

この話はさまざまの道に共通する真理を示している。道とは何かという質問に対

して、ふだんの心がそのまま道であると答えられたのは、実に最高の回答であ

る。これは心の中の病気をすべて去り、ふだんのままの心となって、たとえ病気

があろうとも、そのなかに身を置いて病気を病気でなくすという境地である。世

間のことにあてはめていうならば、弓を射る時に、弓を射るぞという心があれ

ば、弓矢の狙いが乱れて定まるまい。太刀をつかうときに、太刀をつかうぞとい

う心があれば、太刀先はきまるまい。ものを書くとき、ものを書くぞという心が

あっては筆先が定まるまい。琴をひくにしても、琴をひくぞという心があっては

曲が乱れてしまうだろう。弓を射る人は、弓を射るのだという心を忘れ去って、

何事をもしていない、ふだんの心で弓を射るならば、弓が定まるだろう。太刀を

つかうにも、馬に乗るにも、太刀をつかわぬとき、馬に乗らぬときの心で、また

物を書くにも、琴をひくにも、物を書かぬとき、琴をひかぬときのように、すべ

て何事もしないときのような、ふだんの心になって行えばすべてのことは、たや

すく、すらすらと行くものである。どの道にせよ、これでなければと一途に心に

きめているようでは真の道とはいえない。胸のうちには何事もない人こそ、ほん

とうの道を会得した人である。このような人は、胸のなかには何もなく、しか

も、どのようなことでも、やればたやすくなしとげることができるのだ。鏡はい

つも澄みわたり、何の形もないからこそ、それに向うものの姿を、何であれ、は

っきりと映すのである。道を会得した人の胸のうちには何事もなく、鏡のように

澄んだいるから、全く無心でありながら、すべての事態に対応することができ

る。これこそが「ふだんの心」である。この「ふだんの心」によってすべての事をな

しとげる人、それを名人というのだ。

 

「解説」

あぶな気のない芸、それはいかなる道においても超人的な修練の末にはじめて到

達しうる境地である。これはそれのみを求めて得られるものではない。

 

  放しかけても留まらぬ心を持つ

中峰和尚云、放心の心を具せよ

右之語に付て、初重後重あり、心を放かけてやれば、行さきにとどまる程に、心

をとどめぬ様に、あとへちやくちやくとかへし、かへせと教ゆるは、初重の修行

也。ひとたちつて、うつた所に心のとどまるを、わが身へもとめかへせと教る

也。後重には心を放かけて、行度様にやれと也。はなしかけて、やりてもとまら

ぬ心になして、心を放す也。放心の心を具せよ、心に放心をもて、心に綱を付け

て常に引て居ては、不自由也。放しかけてやりても、とまらぬ心を放心と云。此

放心心を具すれば、自由がはたらかるる也。綱をとらへて居ては不自由也。犬猫

もはなしがひこそよけれ、つなぎ猫、つなぎ犬は、かはれぬ物也。

 

「訳」

中峰和尚(元の高僧。普応国師)が「心を放した心をもて」と言っておられる。この

言葉を理解するのに、最初の段階と、より高い段階とがある。心を放してやる

と、心は行った先にとどまりがちであるから、そうさせぬよう、さっさと引き返

させよというのが最初の段階での修行である。太刀を一太刀うったとき、心がそ

こに留まらぬよう、自分のほうへ引き返させよと教えるのである。より高い段階

の修行においては、心を自由にとき放ち、行きたいように行かせよとしている。

心を放してやっても行った先に留まらぬようにしておいて、心を放す、これを放

心の心というのである。心に綱をつけて、いつも引いているようでは不自由であ

る。放してやっても留まらぬような放心の心を備えていれば、自由な働きができ

るのだ。綱をつかまえておくのは不自由なもの、犬も猫も放し飼いにかぎる。つ

なぎ猫、つなぎ犬では飼えるものではない。

 

「解説」

沢庵の「不動智神妙録」にこの項とほとんど同様の記述がなされている。

 

治まった心に方便は無用

儒書をよむ人、敬の字にとどまりて、是を甲状ともふて、一生を敬の字にてすま

す程に、心をつなぎ猫のようにする也。仏法にも敬の字なきにあらず、経に一心

不乱と説給ふ。是即敬の字にあたるべし。心を一事にをきて、余方へは乱さざる

也。勿論、敬白夫仏者と唱る所あり。敬礼とて仏像にむかひ、一心敬礼と云、皆

敬の字の意趣たがはず。然共是は一切に付きて心のみたるるを治る方便也。よく

治りたる心は、治むる方便を用ひざる也。口に大聖不動と唱へ、身をただしくし

て、合掌して表に不動のすがたを観ず。此時身、口、意の三業平等と云。即敬之

字の意趣に同じ、敬者即本心の徳にかなふ也。しかれども行ふ間の心なり。合掌

をはなち、仏名をとなへやみぬれば、心の仏像ものきぬ。更に又もとの散乱の心

也。始終治りたる心にあらず。心をよく一度おさめ得たる人は、身、口、意の三

業をき浄めず。塵にまじはりて、けがれず、終日うごけどもうごかず、千波万波

したがひうごけども、そこの月のうごく事なきがごとく也。是仏法の至極せる人

の境界也。法の師の示をうけて爰に記す者也。

 

「訳」

儒書を読む人は、敬の字(敬まい、慎む心)に重きを置き、是が最高の境地と考え

て、一生をその状態で過ごそうとするために、心をつながれた猫のように不自由

なものとしてしまう。仏法においても敬の字がないわけではない。お経で一心不

乱と説かれているのが、すなわち敬の字にあたるであろう。これは心を一つに集

中して、他のことに乱されぬようするものである。「敬い申すことこそ仏弟子の

姿」ということばがあり、仏像に向って一心に敬礼するということがある。これ

らはみな敬の字の趣旨にかなったことである。しかし、こうしたことは心が乱れ

ぬようにするための手段である。よく治まった心には、このような手段は必要な

いのだ。たとえば口に不動明王の御名をとなえ、形を正し、合掌をして心に不動

明王のお姿を思うならば、体、口、心は一体となり、心は乱れない。この境地を

三密平等といって、そのまま敬の字の意味するところと一致し、仏法本来の教え

にかなった状態である。しかしながら、これは礼拝を行っている間の心境に過ぎ

ない。合掌をとき、仏の御名をとなえることをやめれば、心のなかの仏の御姿も

消え失せ、またもや、もとの乱れはてた心に戻ってしまう。始終一貫して治まっ

た心境とはいえないのである。真に心を治めることのできた人は、体、口、心の

三つをことさら浄めもせず、世間の塵にまみれても汚れず、一日中動きまわって

いながら心を動かされず、水の上の月が、幾千万の波にしたがってその姿を変え

ても、月の本体は動くことがないような状態となる。これこそ仏法をきわめつく

した人の境地なのである。仏法の師(沢庵のこと)の教えを受けたところをここに

しるすものである。

 

「無刀の術」の本旨

無刀とて、必しも人の刀をとらずして、かなはぬと云儀にあらず、又刀を取り見

せて、是を名誉にせんとてもなし。わが刀なき時、人にきられじとの無刀也。い

で取て見せうなどと云事を本意とするにあらず。

 

「訳」

無刀の術といっても、必ずしも相手の刀をとらねばならぬという意味のものでは

ない。また刀をとって見せて、それを手柄にしようというものでもない。自分が

刀を持っていないときに、相手に切られまいとするための無刀の術なのである。

さあ、取ってみせるぞなどという心が本来のものではない。

 

「解説」

柳生新陰の「無刀取り」はすこぶる有名だが、その内容についてはかなり誤解され

ている場合が少なくない。宗矩は兵法家伝書にとくに「無刀之巻」をおこし、その

精神と技法について論じている。身に寸鉄を帯びることなく、真剣をふりかざし

た敵と相対し、その刀を奪うという無刀の術は、いわば自らを最悪の条件のもと

に投げ入れて、なおかつ勝ちを占める極限の兵法である。それは前記の「敵は常

に攻勢と覚悟せよ」の心がまえに通じる、しかも、より徹底した境地といえよ

う。

 

切られねば、それが勝利

とられじとするを是非とらんとするにはあらず。とられじとするをば、とらぬも

無刀也。とられじ、とられじとする人は、きらふ事をばわすれて、とられまひと

ばかりする程に、人をきる事はなるまじき也。われはきられぬを勝ちとする也。

人の刀をとるを芸とする道理にてはなし。われ刀なき時に、人にきられまじき用

の習也。無刀と云は人の刀をとる芸にはあらず。諸道具を自由につかはむが為

也。刀なくして人の刀をとりてさへ、わが刀とするならば、何かわが手に持て用

にたたざらん。扇を持て也共、人の刀に勝べし。無刀は此心懸なり。刀もたずし

て、竹杖つひて行時、人、寸の長き刀をひんぬいてかかる時、竹杖にて、あしら

ひても、人の刀を取もし、又必とらず共、おさへて、きられぬが勝也。此心持を

本意とおもふべし。

 

「訳」

相手がとられまいとしている刀を、ぜがひでもとろうというのではない。とられ

まいとしている刀を、とらないのもまた無刀の術である。というのは、とられま

い、とられまいと思っている相手は、切ろうとすることを忘れて、刀をとられま

いとばかりに思うから、人をきることはできないからである。こちらとしては切

られなければ、それが勝利なのである。人の刀をとることが目的なのではない。

こちらに刀のないときに、人に切られぬための鍛錬なのである。無刀の術という

のは、相手の刀をとるためのものではない。さまざまな道具を自由に使いこなす

ためのものである。刀を持っておらぬときに相手の刀をとって、自分の刀とする

ことができるほどならば、何を手にしても役に立たぬということはあるまい。た

とえば扇を手にしても、刀を持った相手に勝つことができるだろう。これが無刀

の術の本旨である。刀を持たず、竹の杖をついて行くときに、長身の刀を引きぬ

いて切りかかれても、竹杖であしらい、相手の刀を奪いとり、または必ずしも奪

いとらずとも相手を制圧して、切られなければ、それが勝利である。これが無刀

の術の本来の意味であることを心得よ。

 

無刀の核心は「間合い」

無刀はとる用にてもなし、人をきらんにてもなし。敵から是非きらんとせば、取

べき也。取事をはじめより本意とはせざる也。よくつもりを心得んが為也。敵と

わが身の間何程あれば、太刀があたらぬと云事をつもりしる也。あたらぬつもり

をよくしれば、敵の打太刀におそれず、身にあたる時は、あたる分別のはたらき

あり。無刀とは、刀のわが身にあたらざる程にては、とる事ならぬ也。太刀のわ

が身にあたる座にて取也。きられてとるべし。

 

「訳」

無刀の術の目的は、相手の刀を奪うことでもなければ、相手を切ることでもな

い。敵がどうしても切ろうとするときには奪いとればよいのであって、最初から

奪いとることを目的とはしないのである。無刀の術の本来の目的は、間合いをと

ることの修練である。敵と自分との間合いがどのくらいあれば、太刀があたらな

いかということを判断するのである。あたらぬ間合いがわかっていれば、敵がう

ってくる太刀を恐れることはないし、あたるとわかっていれば、それに応じた対

策がたてられる。無刀の術は、刀がわが身にあたるほどでなければ使うことはで

きない。刀が自分にあたる位置で奪いとる、つまり切られて取るのである。

 

敵の太刀の柄の下をくぐれ

無刀は人には刀をもたせ、我は手を道具にして仕相するつもり也。我は刀はなが

く、手はみじかし。敵の身ちかくよりて、きらるる程にあらずば成間敷也。敵の

太刀と我手としあふ分別すべきにや。さあれば、敵の刀は、わが身より外へゆき

こして、われは敵の太刀の柄の下になりて、ひらきて太刀をおさふべき心あてな

るべきにや。時にあたつて一様にかたまるべからず。いずれにても身によりそは

ずば、とられまじき也。

 

「訳」

無刀の術とは、相手には刀を持たせ、自分は素手を武器として勝負する心得であ

る。刀は長く、手は短いのであるから、敵の体によりそって、切られるほどにな

らねば、この術を使うことはできない。だが、敵の太刀と、自分の素手とで戦う

ことができるだろうか ?とするならば、敵の刀が自分の体をとおりこし、こちら

は敵の太刀の柄の下になって、敵の太刀をとらえるという考え方がでてくるので

はないだろうか。もちろん、時と場合によって一概にはいえないが、敵の刀を奪

おうとするからには、敵の体に寄りそわぬかぎり、奪えるものではない。

 

「解説」

理屈からいえば無刀の術の原理は簡単なことである。刀の柄で人を切ることはで

きないのだから、一瞬のうちに敵の手もとにとびこみ、死角のなかにはいってそ

の刀を奪いとるというものである。まさに「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」だ

が、単なる玉砕戦法ではない。前項で力説されているとおり「間合い」に対する的

確な判断をはじめとする、並々ならぬ心と技の修練が要求されよう。

 

「機」内にあり「用」外に働く

大機大用。用を用とよむべし。物・躰・用の時、用とよむべし。物ごとに躰・用

と云あり。躰があれば用がある物也。たとへば射弓は躰也。ひくぞ、いるぞ、あ

たるぞと云は弓の用也。灯火は躰也。ひかりは用也。水は躰也。うるほひは水の

用也。梅は躰也。香ぞ色ぞと云は用也。刀は躰也。きりつくは用也。然者機は躰

也。機からそとへあらはれて様々のはたらきあるを用と云也。梅の躰ある故に、

躰より花さき色香あらはれ、匂ひをはつするごとくに、機うちに有て、用外には

たらき、つきかき、表裏、懸待、様々の色をしかけなどする事、内にかまへたる

木るによりて、外へはたらきが出る。是を用と申也。大とはほむる言葉也。大機

なる故に、大用があらはるる也。禅僧の自由自在に身をはたらかし、何事をいふ

も、何事をするも、皆道理にかなふて、理に通ずる。是を大神通と云、大機大用

と云也。

 

「訳」

「大機大用」ということがある。用は「ゆう」と読む。物、躰、用(事物、実体、作

)という場合には「ゆう」と読むのである。すべての事物には躰と用とがある。

たとえば弓は躰(実体)であり、引く、射る、あたるといったことは弓の用(作用)

ある。燈は躰で光は用、水は躰で湿りは用、梅は躰で、その香りや色は用であ

る。刀は躰、切りつけるのは用だ。とするならば、機(ここでは意思、判断といっ

た意味)は躰であり、これが外に出ていろいろな働きをするのを用というのであ

る。梅という躰があるがゆえに、躰から花が咲き、色香があらわれ、匂いを発す

る。そのように、機が内にあるから、用が外にあらわれて切る、つく、計略をし

かける、懸躰を使いわける、などさまざまな手段をつくすのである。このように

内に機があるために、外に働きが出るのを用というのである。大とはほめる言葉

である。機が大きいからこそ、大きな用が発揮されるのだ。修行をつんだ禅僧

は、すべてに自由な境地となり、何を言っても、何をしても、すべてが道理にか

なっているが、このような状態を大神通といい、また大機大用というのである。

 

「解説」

神通神変などといっても、別段、空から鬼神が舞い降りてきて奇蹟をあらわすな

どということではない。何事をするにも自由自在の働きをすることをいうのであ

る。さまざまな太刀のかまえ方、計略、偽り、いろいろな武器の扱い、跳びあが

り、跳びさがり、相手の刀をわが手にとり、あるいは蹴おとすなど、稽古の型に

とらわれぬ自由自在の働きができることを大用というのである。ふだんから心の

うちに機を備えていないかぎり、大用はあらわれるものではない。たとえば、座

敷に座るときには、まず上を見、左右を見て、上から突然なにかが落ちてきはし

ないかと警戒し、戸や障子の近くに座るときには、倒れかかりはしないかと注意

をはらう。また高貴の人のおそば近くに身をおくときには、突然に不慮の事態が

起こりはしないかと心にかける。門や戸口を出入りするときにも警戒心を失わな

い。このようにふだんから油断なく注意するのが機であり、これが心のうちにあ

ればこそ、不慮の場合に、みごとな、とっさの働きができるのだ。これを大用と

 

いうのである。しかし、このような機が、いまだ完成しないうちには、用をあら

わすことはできない。万事について心の修行が積み重なってくると、機が完成し

て、大用があらわれるのだ。機が固定し、定着していては、用はあらわれない。

機が完成すれば、それは全身に行きわたり、手も足も目も耳も、すべての場所に

おいて大用がはっきされるのである。このように大機大用を身につけた人に対し

ては、訓練の成果だけにたよる武芸者は、手をあげることさえできないものであ

る。たとえば「見詰め」といって、大機の人の目で一目にらまれたならば、その

眼ざしに心を奪われて、太刀をぬく手も忘れてしまうであろう。たとえそれが一

瞬の間のことであっても、それだけ遅れれば、もはや敗北を喫するにちがいな

い。ちょうど猫がにらむとネズミが柱から落ちるようなもので、ネズミが猫の眼

ざしに気をとられ、足をふむのを忘れて落ちてしまうように、大機の人にあった

者は、鼠が猫にあったような状態にされてしまうのである。

 

「解説」

どんなにすぐれた技術を身につけていようとも、それだけで千変万化する状況に

対応することはできない。「機が全身にのびのびひろがる」という言い方は象徴的

だが、技術、精神、肉体が一つに解け合って、無意識のうちにもその総力を最大

限に発揮しうる状態をいうのであろう。

 

約束にとらわれぬ自在の働き

禅句に「大用現前軌則を存せず」と云。現前とは大機の人の大用が前にあらはる

ると云儀也。此大儀大用の人は、そつとも習、法符にかかはらぬを「軌則を存せ

ず」と云也。軌則とは、習、法符、法度の事也。よろづの道に、習、法符、法度

と云事有也。至極の人ははらりとそれをはなるる也。自由自在をする也。法の外

に自在をする、是を大機大用の人と云也。機と云は、内に油断なく、物事をおも

ひまふけて居を云也。しかれば、其おもひつめたる機が、いかたまり、凝かたま

りて、かへつて機にからめられて不自由なり。いまだ機が熟せぬ故也。功をつめ

ば機が熟して、わが躰にとけひろごりて、自由をはたらく、是を大用と云也。

 

「訳」

禅のことばに「大用現前軌則を存せず」ということがある。「現前」というのは大

機を備えた人の大用が発揮されることをいったものである。この大機大用の人

は、少しも訓練や約束ごとにこだわらない。これを「軌則を存せず」という。軌

則とは、訓練、約束、規則のことである。すべての道には訓練、約束ごと、規則

といったことがあるが、その極致をきわめた人は、それらをさらりと捨て去り、

自由自在の働きをするものなのである。規則を離れて自由自在の働きをするのを

大機大用の人というのだ。機というのは、心のうちで油断なく何事かを準備して

いることをいう。そこで、心のうちの機が定着し、固定してしまっては、かえっ

て心が機に束縛されて不自由になる。これはまだ機が完成されていないからだ。

十分な修行をつめば、機が完成し、全身に伸び、ひろがって自由な働きをするよ

うになる。これを大用と呼ぶのである。

 

 

心のうちを知らせぬ修行

摩拏羅尊者の偈に云く「心は万鏡に隋て転ず。転ずる処実に能く幽なり」右の偈

は参学に秘する事也。兵法に此意簡容なる故に、引合て爰にこれを記す。参学せ

ざる人は、とくに心得がたたかるべし。万鏡とは、兵法ならば、敵の数々のはた

らき也。其の一つ一つのはたらきに、心がてんずる也。たとへば敵が太刀をふり

あぐれば、其太刀に心がてんじ、右へまはせば右へ心がてんじ、左へまはせば左

へてんずる。是を「万鏡に隋ひて転ず」と云也。「転ずる処実に能く幽也」と云

所が兵法の眼也。其所に、心があとを残さずして、はこび行舟の、あとのしら波

と云ごとく。あとはきへて、さきへ転じ、そつともとまらぬ処を「転ずる処実に

能く幽なり」と心得べし。幽なりとは、かすかにて、見へぬ事也。心をそこにと

どめぬと云儀也。たとへば、しらぎぬのごとく也。紅をうつしとむれば紅にな

り、紫をうつせばむらさきの色に成也。人の心も物にうつれば、あらはれ見ゆる

也。ちご若衆に心をうつせば、ゆがて人が見しる也。おもひうちにあれば色外に

あらはるる也。

 

「訳」

摩拏羅尊者の経文の句に「心はさまざまの環境に対応して変化する。その変化は

実に知り難いものである」といわれている。この句は禅の修行において、すこぶ

る重視されるものであるが、兵法の道において、この心得は特に大切なものであ

るから、引用して記しておく。禅の修業をせぬものには十分理解できないかも知

れない。さまざまの環境というのは、兵法でいえば敵のさまざまな働きに当た

る。その一つ一つの働きに対応して、こちらの心が変化するのである。たとえば

敵が太刀をふりあげれば、その太刀に心が行き、右にまわせば右に行き、左にま

わせば左へ行く。これを「さまざまの環境に対応して変化する」というのであ

る。次の「その変化は実に知り難いものである」という点が、兵法の眼目である。

心がそこに止まることなく、過ぎ去って行く舟のあとの白波のように、あとかた

もなく消え失せてしまうのを「その変化は実に知り難い」というのである。「幽」

というのは、かすかで見ることができない、つまり心がそこに止まっていないと

いう意味である。もし、一ヶ所に心が止まっていれば兵法に負けるであろう。変

化した心が、そのままに固定していては、さんざんな結果となろう。心には色も

形もないから、目には見えぬわけであるが、心が固定し、止まっていれば、その

まま外から見ることができるのである。ちょうど白い絹に、紅を染めれば紅色と

なり、紫を染めれば紫色になるようなもので、人の心も物に染まることによって

見えるようになるのだ。美少年に心を奪われれば、やがては人にそれを知られる

であろう。「思い、うちにあれば、色、外にあらわる」というのはこのことであ

る。

「解説」

固定した心はただちに敵に見破られ、その裏をかかれるが、ものごとに囚われず

自由自在に働く心は、これを外部から判断することができないというのである。

 

剣禅一致の心境

兵法の仏法にかなひ、禅に通ずる事多。中に殊更着をきらひ、物ごとにとどまる

事をきらふ。尤是親切の所也。とどまぬ所を簡要とする也。江口の遊女の西行法

師の歌にこたへし歌。

家を出る人としきけばかりの宿に心とむなとおもふばかりぞ

兵法に此歌の下の句を、ふかく吟味して、しからんか。如何様の秘伝を得て、手

をつかふとも、其手に心がとどまらば兵法は負べし。敵のはたらきにも、我手前

にも、きつても、つひても、其所々にとどまぬ心の稽古専用也。

 

「訳」

兵法には仏法と一致し、禅と共通することが多い。とくに、執着することを嫌

い、物ごとにとどまることを嫌う点が共通しているが、これこそ兵法、仏法、と

もに最も重んじるところである。江口の遊女が西行法師に答えたという歌  家

を出る人としきけばかりの宿に心とむなとおもふばかりぞ

━ご出家であるあなた様には、この世も、この家も、ひとしく仮の宿でございま

しょう。どうぞ心をお止めくださいますなと思っただけでございます━

この歌の下の句は、兵法を学ぶものとして深く考えるべきものではなかろうか。

どのような秘伝を身につけて、これを使おうとも、その技術に心が固定するなら

ば、勝負に負けてしまうであろう。敵の働きにも、自分の働きにも、切ろうと突

こうと、そこに心を止めぬ修行こそが肝心なのである。

()「新古今集」「山家集」「撰集抄」などに収められ、謡曲「江口」の主題と

なった西行法師と江口の宿の遊女の歌の応答。一夜の宿を求めて得られなかった

西行が「世の中を厭うまでこそ難からめ仮の宿りを惜しむ君かな(世を厭って出家

することはむずかしいでしょうが、出家に一夜の宿を借すことさえ惜しむと

は・・・)」と詠じたのに対し、遊女がこう答えたのである。

 

常の心、よろづによし

一切の道理を見おはりて、皆胸にとどめず、はらりはらりとすてて、胸を空虚に

なして、平生の、何となき心にて、所作をなす。この位にいたらずば、兵法の名

人とは云ひ難き也。兵法は我家の事なれば、さして兵法と申也。兵法一つに限る

可からず。よろづの道、此の如く也。兵法つかふに、兵法の心のかずば病気也。

弓射に弓射る心がのかずば、弓の病也。只常の心に成て太刀をつかひ、弓を射

ば、弓に難なく、太刀自由なるべし。何事もおどろかず、常に心よろづによし。

平生の心をうしなひて、何にてもその事をいはんとおもはば、声ふるふべし。常

の心うしなひて、人前にて物を書ならば、手ふるふべし。常の心と云は、胸に何

事をも残さず置かず、あとをはらりはらりとすてて、胸が空虚になれば、常の心

なり。需書をよむ人、此虚心の道理を心得ずして、ひとへに敬字の儀に落る也。

敬の字の心は、至極向上にはあらず。階の一、二段にある修行也とぞ。

 

「訳」

すべての道理を理解しつくして、すべてを心に止めず、さらりと捨てきって胸の

うちをうつろとし、ふだんの、何事もないときの心境のもとで動作をする━。こ

の境地に至らなければ兵法の名人ということはできない。兵法は自分の家の道で

あるから兵法といったのだが、これは決して兵法に限ったことではなく、すべて

の道に共通することである。兵法使うものが、兵法を使う心にとらわれていれ

ば、それは兵法の病気である。弓を射る者が、弓を射る心にとらわれていれば、

これは弓の病気である。ただ、ふだんの心となって太刀を使い、弓を射るなら

ば、弓も、太刀も、自由自在に使うことができよう。ふだんの心こそは万事につ

けて最上のものである。ふだんの心を失って、何かいおうとすれば、声がふるえ

るであろう。ふだんの心を失って人前で字を書けば手がふるえるであろう。こ

の、ふだんの心というのは、胸のなかに何事も残さず、さらりと捨てきって、胸

のうちをうつろにすれば、それがすなわち、ふだんの心なのである。儒教を学ぶ

人は、とかく虚心の道理を理解することができず、「敬」の字、一筋にとらわれ

がちである。「敬」の字の心は、最高の境地とはいいがたい。階段の一、二段目

にあたる程度の修行ということである。  

BACK

inserted by FC2 system